本州最西端 響灘・玄界灘

関門海峡以南を周防灘、以北を響灘(ひびきなだ)という。本州最西端の当地から響灘の青い海原が眼下に広がる。響きの訓読みは、同じ送り仮名でどよめきとも読む。千葉の百目木(どうめき)という地名の語源は水がどよめくから来ており、小櫃川のそばに位置する。百目木、百笑、百目鬼をあててどうめきと読む地名は東北から関東に散見される。放水地を意味する。

響灘の範囲は、山口県長門市の川尻岬から福岡県宗像市の鐘ノ岬、地島、大島に至る海域。ひびきなだ、はヒジキの産地でひじきなだから来た説がある。

玄界灘は九州の北限の海を漠然と指す。村田英雄の無法松の一生の歌詞に「小倉うまれで玄海育ち」というのが出てくる。いびきのひどいワシの爺ちゃんをナジって「やれやれ、寄せては返す玄界灘じゃ」と表現したり。軍歌の歌詞に「玄海灘で手を握り、名を名乗ったが始めにて」というのがでてくる。

九州人から見た九州北部の海を玄海灘といい、中国地方の山口・広島の人から見た響灘と重なる領域がある。響灘というときは北九州から山口県西部長門国まで、玄界灘というときは北九州から佐賀・唐津呼子のあたりまでをさす。交接地域の北九州について、無法松は”育った”小倉の海を玄界灘であると表現しているが、下関から見たら響灘でもあるのだ。現代の響灘・玄界灘の区分は行政上のことで、要は海を言うための方言と思えば理解しやすい。つまり、無法松が”行政上の響灘”である北九州の海を玄界灘と言っても、生まれが九州小倉であるからそれは正しい。

この軍歌は厭戦的であるとして禁じられた時期があります。軍歌にもいろいろあります。戦争の悲惨な状況が目に浮かぶ歌詞です。

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