氅の碑(西国街道)

大竹地区は平地が少なかったため、近世から瀬戸内海の埋め立てが盛んに行われ、その上に現在の化学工場群があります。飢饉の経験を背景に農地目的で埋め立てられました。埋め立てに適した干潟が沖に広がっていたそうです。工場が乗ってると新しい埋立地だとついおもってしまいますが歴史のある埋立地です。

参考 大竹市歴史研究会 埋め立ての歴史 

西国街道が通る位置は昔の海岸線沿いであるため蛇行します。逆に埋立地の道は条理らしい感じがあります。

小方地区の西国街道

松尾芭蕉の俳号は者世越(はせお)。ばしょう、ばせお、、、はせお

「蕉門の十哲」といわれる弟子がおり、その一人の志太野坡(しだ やば)は三井越後屋番頭にもなった人、九州の筑紫地方や、当地大竹にも寄って、各地に俳句を広めました。

下記は、芭蕉の没後150年の記念に、天保4年(1833年)、地元の有志が西国街道沿いに建てた氅(けごろも)の碑とのことです。

「氅に(けごろもに)つつみてぬくし鴨の足」 者世越(はせお 芭蕉の俳号)

鴨が座って羽毛に足が包まれたら暖かそう(?)


鶴氅(かくしょう)という言葉が白居易の詩にあります。温かい羽毛の服のこと。

「酬令公雪中見贈」

雪似鵞毛飛散乱   雪は鵞毛に似て、飛びて散乱し
人被鶴氅立徘徊   人は鶴氅を着て、立ちて徘徊す

雪が羽毛のようにひらひら、人は羽毛のダウンジャケットを来てうろうろ(笑?)

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