上野鉄道鬼ヶ沢橋梁

上信電鉄の前身、上野鉄道の鬼ヶ沢橋梁は、群馬県富岡市と下仁田町の境界を成す大谷川に架かる鉄道橋です。土木学会選奨土木遺産です。

心細い南蛇井下仁田線という山道を進み、現地に向かいます。小さな看板があり、一台車を停められるスペースが在りましたが、後ろがフェンスのない崖でした。先客のタイヤの跡が崖っぷちにまで達していて、ゾゾゾとなりました。ココに車を置いて、崖を降りて鬼ヶ沢橋梁へ向かいます。

こちらは現在の上信電鉄の橋梁。目的地ではありません。これはこれで相当な難所に設けられた鉄橋で、橋台に続く築堤がほぼ垂直にダムのようにそそり立っています。

さらに崖道を降りて、目的地に到着しました。

橋の向こう、橋の台座は立派なレンガ積みのしっかりした造りです。レンガ製の橋台は過剰なほど精密に積まれ、惚れ惚れします。

まず思ったこと。「おもったよりちっちゃい・・・」

予習せずに訪れると、こういう驚きもあります。

土木遺産!鉄道橋!きっとデッカイ!

と勇んで行ったものですから・・・。小さいけど価値があるはずです、どれどれ。

1897年(明治30年)に完成した国産最初期の鋼橋。幅1メートル、全長10メートル、構造形式は2主桁プレートガーダー橋で、2基の煉瓦積・切石積橋台からなる。設計者及び施工者は不明であるが、東京・築地の月嶋鉄工所と推測されている。

狭軌の軽便鉄道として使用、なるほど幅も小さいはずです。下仁田の繭・生糸・石炭・砥石・鉄鉱石などを山あいを縫うように運搬していたのであります。

下仁田は、ネギとこんにゃくだけでなく、繭、鉄鉱石、石炭、石灰石など多彩な品物の産地でした。また蚕の卵を保存するための天然の冷蔵庫(荒船風穴)があり、全国と取引がありました。三井家に富岡製糸場を払い下げられ、その二年後に下仁田、富岡、高崎を結ぶ上野鉄道が開通しています。三井家は上野鉄道の大株主でもあります。外国人技師の指導もありました。

高崎の石炭も燃料として製糸に必要でした。高崎駅の西にある観音山では亜炭が取れました。高崎に炭田があったとは。

高崎、富岡、下仁田の三点が線で繋がりました。現在の上信電鉄の前身である上野鉄道は、富岡製糸場を中心とした三井系の物資流通路線でした。

この橋は富岡製糸場を中心とした流通に役だった遺産という位置づけです。

富岡製糸場は1893年に三井家に払い下げられたあと1939年に片倉製糸紡績株式会社に売却され、後に片倉工業に名前を変え1989年まで稼働します。富岡製糸場の稼動終了後、壊さず、固定資産税を払いながら、良い保存状態を自腹で維持し、2003年、世界遺産の登録を目指す自治体との合意で富岡製糸場を富岡市に寄贈、片倉工業はすばらしい会社だと思います。現・片倉コープアグリは、養蚕家への肥料供給を目的として設立されたのが発祥で関連会社です。

長くなりました。お読みいただきありがとうございます。

上野鉄道鬼ヶ沢橋梁」への2件のフィードバック

  1. 思い込みや既出の写真のイメージで現地に赴くと、時にはがっかり、時にはびっくりすることがありますね。
    あるあるです(笑)
    それよりも谷底に消えたタイヤ跡が恐ろしいです。。
    僕も以前、崖っぷちの細く急斜面の山道を走らせていて、急カーブのところで車がスリップ、アクセルを踏むとさらにスリップして死ぬ思いをしました。
    車を捨てようかとも思いましたが、恐る恐るバックし、鬼のような切り返しで方向転換、なんとか山を下りることができました。
    あれ以来、車で山道を強行突破するのはやめてます。

    いいね: 1人

  2. コメントありがとうございます。読んでいて、とてもハラハラしました。崖でスリップ!軽くしんでしまいます。狭い道での切り返し、ひいいい…火曜サスペンス…
    Googleマップ先生は、酷道も国道も同じように御案内くださるので、時に、神はなぜかくごとき試練を我に与えたまひしや?!って感じに途方に暮れることがあります。

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